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朝鮮通信使

やまと新聞社「ねずさんの動画マガジン最新号
第7回「韓国問題について」

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朝鮮通信使の行列


韓国の歴史教科書によると、江戸時代に、朝鮮から来日した朝鮮通信使は、徳川幕府が経済的に困窮に陥ったために、先進文物を取り入れようと、李氏朝鮮王に懇願して招いたものだったのだそうです。

それがいかにデタラメな捏造にすぎないか。
今日は、たっぷりと書かせていただきました。


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やまと新聞の動画コラムねずさんの動画マガジン
http://www.yamatopress.com/co/pg146.html

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さて、本題に入る前に、昨日の記事で、日本は鎖国と開国を繰り返してきた、というお話を書きました。

ちなみに平家の落人のことを昨日の記事に書いていますが、平家の落人狩り、あるいは徳川幕府による豊臣の落人狩りのいずれもそうですが、平家一門や豊臣一門を、全国津々浦々に追いつめて殺害したという事実はありません。
そのように言われているだけです。

実際には、平家あるいは豊臣の時代に日本に帰化して日本に住み着いた渡来人のなかの、いわゆる「不逞外国人」を追いつめて狩ったにというのが実際のところです。
実際、平姓を名乗る方は、いまも多くおいでになるし、豊臣の残党といっても、たとえば安芸浅野家なども、まさに秀吉の妻の兄の家柄ですが、ちゃんと幕末から現在にいたるまで、家名を存続させています。

もし本格的に平家に連なるもの、あるいは豊臣家に連なる者を皆殺しにしたのが、残党狩りというのなら、こうして家系がいまも存在していることなど、あり得ません。
もっといえば、平家を追いつめた源氏は、鎌倉三代将軍で事実上滅び、平家一門の北条家が幕府の執権となっています。
また、徳川幕府二代将軍秀忠は、まさに秀吉の養子だった人物です。

残党狩りはありました。
にも関わらず、平氏も豊臣の血筋も今に残っている。
要するに「残党狩り」の対象になったのは、あくまで「残党と称して悪さをする人」であったということです。
そしてその中の多くは、おそらくは支那、朝鮮からの不逞渡来人たちであったであろうことは、その後に、国内治安が極めて良好になっているという史実を考えれば、簡単に察しがつくというものです。

日本には、どこぞの国のように他民族や異教徒を一方的に殺戮したり、弾圧したという歴史はありません。
むしろそれらを自然な形になんとかして日本の文化の中に取り込もうと努力を重ねる。

たとえば米国でさえ、大東亜戦争の頃、米国在住の日系人を全員拘束して収容所送りにしています。
支那の民族浄化と称するウイグルやチベットへの弾圧や殺戮は、まさに現在進行形の事態です。

これに対し日本は、たとえば関東大震災の渦中においてさえ、警察は朝鮮人を保護しています。
むしろ、朝鮮人だからといっていたずらに排除するのではなく、あくまで排除の対象は、不逞行為を働いた者に限る。取締の対象は、あくまで不逞行為であって、人種や民族ではない。
そういう姿勢は、昔も今もなんら変わりません。

元寇のあと、神風に生き残った元と朝鮮の兵士たちを、鎌倉武士団が多数拿捕し、首を刎ねているけれど、これさえも、そうした元、朝鮮兵たちが、強姦、強盗、窃盗等の狼藉を働いたことが原因です。
悪ささえしなければ、日本は、戦時捕虜は、ちゃんと当該国に国費をもって送り返しています。

「送り返す」といえば、秀吉の朝鮮征伐の際に、捕虜として日本に連れて来られた支那人、朝鮮人等がいます。
これらは、儒者、陶工などの特定の技術知識集団で、それら知識や技術を学ぶために、日本が連れ帰った者たちです。

当時の記録を見ると、これらは「捕虜」というより、むしろ知恵のある者たちとして、敬い、歓迎されたとしています。
ですから、なるほど彼らには「国に帰れない」という悲しみはあったかもしれないけれど、知識人あるいは技術職人として、日本にいて、尊敬され、敬われ、十分な食物や、身の回りの諸事をこなす家人さえも与えられ身分の保障までされています。

ところが、名目上は「戦時捕虜」となるこれら渡来職人たちについて、当時の李氏朝鮮は日本に対して返還を申し出ます。

日本が朝鮮半島から連れてきたのは、儒家と技術者(陶工)です。
このうち、儒家はほとんどが帰国を希望したため、あご足つきで、朝鮮に送り返しています。

ところが、技術職人である陶工たちは、その多くが朝鮮帰還を拒否し、自らの意思で日本に残りました。
これには理由があって、李氏朝鮮では、陶工たちは白丁(奴隷)であり、収奪の対象であり、最下層の賤民です。
上から司令されたものを強制的に作らされ、少しでも反抗したり、作ったものが両班の気に召さなければ、極めて残酷な体罰が科せられました。

ところが日本では、古来、日本社会は技術者(職人)を高く評価され、研究、開発まで面倒をみてくれ、家人まで与えてくれる等の便宜まで図ってくれ、体罰による身の危険もなく、好きなだけ、思う存分に仕事ができる。
もちろんなかには、それでも日本人を信じられなかったり、どうしても故郷に思い残すところがあって帰国を申し出た者もいたけれど、ほとんどの職人たちは、むしろ日本に残って腕を振るいたいと願ったのです。
つまり、圧倒的大多数の朝鮮人職人さんたちは、日本に居残ったわけです。

ところが李氏朝鮮にしてみれば、これが気に入らない。
あくまでも「返せ!」というわけです。

そうした李氏朝鮮の姿勢は、特に朝鮮との国境を接する対馬の対馬藩にしてみれば、大きな問題です。
なぜなら対馬藩は、島の田畑に限りがあるため、基本的に海洋からの漁労収入と、日本本土および朝鮮との交易が藩の財政と民政の柱だったからです。
つまり対馬藩は、日本と朝鮮の間にあって、昔も今も、たいへんなご苦労をされていたわけです。

対馬の領海内での漁業操業の安定化のために、対馬藩は、徳川幕府と李氏朝鮮の和解を願いました。
一方、李氏朝鮮は、慶長の役のあと、ようやく明軍の脅威が去り、国情が安定してきたのだけれど、そうなると、むくむくと鎌首をもたげてくるのが、いつもの朝鮮の自尊肥大です。

李氏朝鮮は、対馬藩に対し、日本が朝鮮征伐の謝罪をし、捕虜を帰すなら、国交を開いても良いともちかけます。言うことをきかなければ、武器を持たない対馬の漁民に対して危害を加え、対馬に軍を出すというのです。
いつもの朝鮮のやり方です。
そうなったとき何が起こるか、対馬の人たちには、元寇の際の苦い思い出があります。
皆殺しにされ、女達は強姦され、裸にして軍船に吊るされた。

こうした李氏朝鮮の意向に、対馬藩がどれだけ困ったかは、想像に難くありません。

一方で、日本側の見方はどうかといえば、当時の李氏朝鮮を「国」としてさえ認識していません。
どういうことかというと、当時の日本もいまの日本も同じで、国は民のためにある、民あっての国である、というのが、古来変わらぬ日本人の考え方です。
そうした日本人の眼から見ると、当時の朝鮮半島は、李氏朝鮮という明と通じた暴力団が、朝鮮半島内を縄張りとして身勝手な暴虐暴政を行っているだけの未開の地域でしかない。

当時、全世界の鉄砲の半数を保持し、世界最強の軍事大国となっていた日本にとって、そうした朝鮮半島の暴力団との交流は、「外交」の名にさえ値しないと考えられたのです。
これは、おおむね正しい認識というべきです。

そうはいっても、相手が暴力団のようなものだからこそ、対馬藩にしてみれば、一層困るのです。
やむをえず対馬藩主の宗義成は、朝鮮出兵とは無関係の藩内の罪人たちの喉を水銀で潰して声を出せないようにしたうえで、「朝鮮人捕虜」として、李氏朝鮮に差し出します。

李氏朝鮮側も、形式が整っていれば「日本が捕虜を帰した」と公式には発表できるため、事実を知りながらこれを黙認して捕虜(実は罪人)たちを受け取りました。
李氏朝鮮の要求に従ったわけですから、これでひと安心、となるはずでした。

ところが、ひとつ要求が通ると、ますます増長して要求をエスカレートするのが、古来変わらぬ朝鮮人の特徴です。
今度は、日本の徳川幕府に、「国書をもって朝鮮征伐行為を謝罪せよ」と言ってきたのです。

日本にしてみれば、戦いの相手は、あくまでも明国です。
朝鮮半島にある李氏朝鮮は、明国の出先機関であり、同じ朝鮮人から搾れるだけ搾り取っている暴力団でしかありません。
つまり、李氏朝鮮は国家の名にさえ値しない。
仮に大東亜戦争で玉砕した島しょの守備隊長が、米国政府に向かって謝罪を要求したとしても、米国がまったく相手にしないというのと、同じことです。

けれど、そうはいっても、その朝鮮と領海を接する対馬藩にとっては、李朝との交流は、死活問題です。
困りきった対馬藩宗家では、慶長10(1605)年、日本の謝罪国書を勝手に偽造し、李氏朝鮮に提出しました。
とんでもない、というご意見もあろうかと思いますが、李氏朝鮮は、日本の謝罪さえあれば、それ以上、ことを荒立てることなく、対馬藩の領海への侵害もしないと約束したのです。

このことは、平成10(1998)年の日韓共同宣言のときの日韓外交と酷似しています。
このとき日韓共同宣言をまとめたのは、当時外務大臣だった高村正彦氏(衆議院議員、現・自民党副総裁)ですが、氏はこのとき、金大中韓国大統領(当時)から、
「一度謝れば韓国は二度と従軍慰安婦のことは言わない」と説得され、
「痛切な反省と心からのおわび」を共同宣言に明記しました。

その結果何が起こったかといえば、ひとたび日本政府から「反省とお詫び」を引き出すや、韓国は手のひらを返したように、今度はこの共同宣言をネタにして、慰安婦問題を日韓関係のカードに使い、賠償を要求し、韓国への巨額の財政援助をゴリ押しし、さらに世界中で、日本が朝鮮人をセックス奴隷にしたと宣伝してまわっています。

日本人の感性では、「綸言汗の如し」といって、ひとたび口に出したなら、それを守るのが信義の道です。
まして、国や公共団体などの公的なものは、嘘は許されない。
前言をひるがえすなど、あってはならないこととされています。

ところが、朝鮮蛮族には、そうした考えはありません。
ケモノと同じで、「いま」が満足できれば、真実などはどうでもいい。
要するに、ケモノたちにとっては、約束などは、その場限りの言い逃れにすぎないのです。

実際に、朝鮮半島に渡り、そうした朝鮮人の習性を、日常的に目の当たりにしていた慶長・元和・寛永の頃の日本は、ですからそうした朝鮮人の体質、政情を体験的に熟知しています。
ですから、家康も、秀忠も、家光も、李氏朝鮮の言い分など、まるで頭から相手にしていません。

ひとつ皮肉な話があります。
対馬藩のことです。

対馬藩は、国書まで偽造して李氏朝鮮との関係修復をしようとしました。
これを推進したのが、藩主の宗義成です。
けれどこうした二枚舌は、日本人がもっとも嫌うものです。

このため家老であった柳川調興(やながわしげおき)が、三代将軍徳川家光に、「嘘はいけない」と藩主の宗義成を告訴したのです。

柳川調興というのは、たいへんな教養人で、支那語、朝鮮語にもよく通じ、古今の書物にも精通する人物でした。
おそらく、それだけに藩主の行動が許せなかったのでしょう。

江戸幕府内でも、幕府の官僚の一部は、柳川氏の意見を、もっともだと評価したようです。
そこで江戸幕府では、家光の命で、江戸城大広間に、江戸にいた全国の大名を全員総登城させたうえ、将軍家光の前で、対馬藩主の宗義成と、対馬藩家老の柳川調興を直接対決させました。

理は、柳川調興にあります。
嘘はいけない。
まして国書の偽造など、もってのほかです。

ところが、その場にいた全国大名の総意と、家光の判断は同じでした。
結論は、藩主宗義成はお咎めなし。
家老の柳川調興は津軽に流罪となったのです。

なぜでしょう。
なぜ嘘はイケナイと言った柳川調興が罰せられ、偽書を書いた宗義成が無罪とされたのでしょう。
普通に考えれば、これはおかしな判決です。

けれど、このことは時代背景を考えると、理由は明白です。
現実に朝鮮出兵をしてきた全国の大名たちからすれば、民を人として扱わず、民に対して暴虐と貪りの限りを尽くし、平気で奪い、殺し、その肉を食らう李氏朝鮮の一族は、まさに獣であり、国の名に値しない。
獣に対して自己防衛のために偽書を送り、対馬藩の民衆の安寧を図るのは、たびたび熊に襲われる村人たちが、熊に偽の餌を与えて、熊からの被害を食い止めようとするのと同じである。
つまり、宗義成の行動は、藩主として当然の行いであると看做したのです。

そして李朝を「人の王朝」と考える家老の柳川調興のほうが、むしろ実態をわきまえない「曲学阿世の徒」であり、さらにはその曲学に基づいて藩主を告訴するなど、もっての他です。
だから、遠島流罪となった。

江戸の武家社会では、この事件を「柳川一件」といい、幕末から明治にかけても、学問が空理空論に走ることを戒めた事件として、大切な教訓とされました。

要するに簡単に言うと、勉強ができて通訳ができるからといって、民を靖んじるという執政の本義を失っては、国民の生活を守ることはできないし、そういうことでは人の上に立つ武士は勤まらない。
いかに学問ができ、いい大学を出ようが、いくら理屈を言おうが、国を靖んじ、民の安寧を離れては、それは曲学阿世の徒でしかない、ということです。

もっとも対馬藩では、この事件で漢籍、朝鮮語に通じた柳川調興がいなくなり、朝鮮と直接交渉ができる通訳がいなくなってしまった。
やむなく藩主の宗義成は、幕府に泣きついて京都五山の僧の中から漢文に通じた碩学を派遣してもらい、ようやく外交ができる体制を整えたという後日談まで残っています。

さて、こうした対馬藩宗家の努力もあって、李氏朝鮮からは、江戸時代を通じて、都合12回、朝鮮からの特使(朝鮮通信使)が、来日しています。
(最終回の12回目は、対馬に差し止めとなり、日本本土には来ていません)

初回が慶長12(1607)年で、最終回が江戸後期の文化8(1811)年です。
当初の3回は、国交回復や捕虜返還交渉のためとされていますが、以降の9回は、いずれも、新将軍就任の祝賀のための来日です。

その朝鮮通信使の第11回目、おおむね朝鮮通信使が、制度として定着していた宝暦14(1764)年の朝鮮通信使の記録が、いまに残っています。

このときの朝鮮通信使は、徳川家治が第11代将軍に就任したことへの祝賀のための来日です。
その通信使の一行の中に、金仁謙という者がいて、来日したときの模様を詳細に書き遺しているのです。
これが「日東壮遊歌」で、本にもなっています。
希少本で、いまでは古本がすごい高値になっていますが、この本の中に、当時の朝鮮人官僚が見た率直な日本への感想が書かれています。

日東壮遊歌―ハングルでつづる朝鮮通信使の記録 (東洋文庫)


そこには次のように書かれています。
〜〜〜〜〜〜〜
●1764年1月22日 大阪

100万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。凄い。
大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の10倍以上の広さで、 銅の屋根で、黄金の内装だ。
この贅沢さは異常だ。
都市の大きさは約40kmもあり、その全てが繁栄している。信じられない。

支那の伝説に出てくる楽園とは、本当は大阪の事だった。
世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。
ソウルの繁華街の1万倍の発展だ。

北京を見た通訳が通信使にいるが、「北京の繁栄も大阪には負ける」 と言っている。
穢れた愚かな血を持つ、獣のような人間が中国の周の時代に、この土地にやってきた。
そして2000年の間、平和に繁栄し、一つの姓(つまり天皇家)を存続させている。
嘆かわしく、恨めしい。


●1764年1月28日 京都

街の繁栄では大阪には及ばない。
しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。
山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、肥沃な農地が無限に広がっている。
この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。
悔しい。

「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。
悔しい。
この犬のような倭人を全て掃討したい。
この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。


●1764年2月3日 名古屋

街の繁栄、美しさは大阪と同じだ。 凄い。
自然の美しさ、人口の多さ、土地の豊かさ、家屋の贅沢さ、この旅で最高だ。
中原(中国の中心地)にも無い風景だ。
朝鮮の都も立派だが、名古屋と比べると、とても寂しい。

人々の美しさも最高だ。
特に女性が美しい。 美しすぎる。 あれが人間だろうか?
「楊貴妃が最高の美人だ」と言われているが、名古屋の女性と比べれば、
美しさを失うだろう。

(帰路にて)
名古屋の美人が道を歩く我々を見ている。
我々の一員は、名古屋の美人を一人も見逃さないように、頭を左右に必死に動かしている。


●1764年2月16日 江戸(東京)

左側には家が連なり、右側には海が広がっている。
山は全く見えず、肥沃な土地が無限に広がっている。
楼閣や屋敷の贅沢さ、、人々の賑わい、男女の華やかさ、城壁の美しさ、橋や船。

全てが大阪や京都より三倍は優っている。
この素晴らしさを文章で表現する事は、私の才能では不可能だ。
女性の美しさと華やかさは名古屋と同じだ。
〜〜〜〜〜〜

これが来日した朝鮮使節の実際の感想です。

この感想が、いまから248年前の朝鮮人の日本を見た感想であり、その感想は、当時来日した朝鮮人にとっても、現代日本に来る朝鮮人にとっても、ほとんど変わりがない、ということは注目に値します。

そして、自分たちが思っていた「我が国が一番」という認識(認知)と、実際に自分の目で見たときの認識(認知)が、あまりにも不一致(不協和)だったとき、本来なら人は他国に倣って自分たちも進化しよう、進歩しようと考えるのがあるべき姿なのですが、それができるのは、福沢諭吉のような立派な人物くらいなもので、多くの場合、あるいは一般的には、こうしたときに、むしろ相手国を、
「こんなに素晴らしい情況を作っているのは、絶対に何か裏があるに違いない」
あるいは、
「この美しさを奪ってやろう、破壊してやろう」等々と、不埒な思考に走る。

これが「認知的不協和」と呼ばれるもので、こうした認知不協和が、理性ではなく嫉妬という「感情」にわたるものだけに根が深い、というお話は、先般、認知的不協和の記事で書かせていただきました。

実際、金仁謙の上の文にも、
「悔しい。 この犬のような倭人を全て掃討したい。 この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。」と、およそ理性では考えられないような不逞な思考に走っている様子が描かれています。

戦後の日本政府の間違いは、こうした不埒な思考(感情)に走っている朝鮮人(韓国人)に対し、懐柔のために日本がむしろカネや利権や技術を提供したことにあります。
そうなると彼らは、かえって自分たちの「感情が正当化された」と考え、より一層、過激で不可解な行動に走る。
理屈じゃない、感情が、そのように仕向けてしまうのです。

感情は、とかく低レベルであればあるほど、激しくなります。
足を踏んだ、踏まない、言葉遣いが気に食わない、肩がぶつかった、ガンを飛ばされた等々です。
人は、とかく次元の低い感情であればあるほど、過激に走る。

そういう斜めにしか物事を見れなくなった認知的不協和症状の相手に対しては、関わりをもたないことが、最良の防衛策です。
相手にせず、関わらず、近寄らない。
そうすることで、彼らが経済的にも社会的にも追いつめられれば、自然と、反省の息吹も芽生えるというものです。

さて、その朝鮮通信使ですが、おもしろい絵があります。
京都大学が所蔵している「鶏を盗んで町人と喧嘩する朝鮮使節」の絵です。

鶏を盗んで町人と喧嘩する朝鮮使節
鶏を盗んで町人と喧嘩する朝鮮使節


この絵は、朝鮮通信使が鶏を盗んで乱闘になっている有名な絵です。
ご覧いただくとわかります通り、白昼堂々の往来で、朝鮮通信使一行が、日本人の町民からニワトリを強奪し、騒ぎになっている様子がみてとれます。

場所は辻の中央です。
ニワトリを奪おうとする朝鮮通信使たち、そうはさせじともみ合う町人たち、足下には明らかに日本人と見られる町民が倒れています。
通信使を押さえつけようとする町民、ニワトリを奪い取って、別な通信使に渡そうとしている朝鮮人、そうとうな騒ぎであり、乱闘があったことが伺えます。

日本では、官が民の所有物、たとえばニワトリなどを勝手に泥棒するなどということは、まず考えられないことです。
なぜなら、官は民のためにあるというのが、官民両方の「常識」だからです。
けれどそれは、あくまで「日本の常識」であって、「朝鮮の常識」ではありません。

では、朝鮮ではどうだったのか。
それについては、明治初期に、日中韓を旅行した英国人女性イザベラ・バードの朝鮮紀行に詳しく紹介されています。

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彼らは、たいがい内気で、わたしたちの姿が目に入るとあわてて鶏をひっつかんで隠してしまう。
伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。従者たちは近くの住民たちを脅して飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。
(イザベラ・バード「朝鮮紀行」P133~P137)
〜〜〜〜〜〜

要するに1392年から1910年まで、500年続いた李氏朝鮮では、支配階層である貴族(両班)が、庶民(白丁)からニワトリや卵を勝手に奪うのは、支配者としての「当然の権利」であったのです。

ニワトリや卵だけではありません。
魚も、食べ物も、穀物も、欲しいものがあれば、勝手に奪う。
目の前にアベックがいて、その相手の女性が気に入れば、その場で平気で奪う。
幼子を連れた若い母親がいて、その母親が気に入れば、その場で蹂躙する。

日本では「官は民のためにある」が常識ですが、朝鮮半島ではあくまで「民は官のためにある」のです。
上下関係が何よりも優先する。
上に立つ者は、下のものをどれだけ犠牲にしても構わない。
それがあたりまえの常識です。
それが、朝鮮流儒教です。
彼の国の常識です。

この傾向は、いまでも続いています。
日本では子供に「思いやりのある立派な大人になれ」と教えます。
けれど、朝鮮では「とにもかくにも人の上に立て」と教えます。

下になったら、何もかも奪われる。
だから、どんな卑怯な手を使ってでも上に立った者が勝ちというのが、彼の国の古来変わらぬ常識だからです。
日本とは、根底にある「常識」が異なるのです。

同じくイザベラバードの朝鮮紀行に、次の一節もあります。
〜〜〜〜〜〜
高級官僚や両班はお付きの行列を連れ、
行政官の屋敷に泊まり、贅沢な食事をとる。
快適とはほど遠い宿屋に泊まり、
村の食べ物をとらなければならないはめに追いこまれたとしても、
すべて最上のものが選ばれ、
それに対して代金は支払われない。
(同上P168)
〜〜〜〜〜〜

下々の者が、それによって飢え死にするようなことがあったとしても、官僚は我関せず、なのです。
自分がその場で贅沢ができればそれで良いと考える。
日本人にはあり得ない感性です。

そういう一行が、朝鮮通信使として日本に来たのです。
宿泊施設の旅館では、部屋にある布団から、花瓶や、食器、掛け軸まで盗まれた。
朝鮮通信使が去った後の部屋は、まさに「引っ越した後の空き家」状態になったといいます。

そしてそのことは、何も18世紀の大昔のことばかりではありません。

昨今の対馬には韓国人観光客が大勢やってくるけれど、例えばタクシーで、降りるときにカネを払わずに走って逃げていく。
あるいは、料金を払っても、その支払いの際に、五百円玉とそっくりの五百ウォン(価値は十分の一)を混ぜてくる。
その場で気づいて、注意しても、何事か大声で喚き散らして、泣き寝入りさせられてしまう。

スーパーでは、並んでいるバナナを、カネも払わずにその場で食べてしまう。
店員が気づかなければそのまま金を払わずに立ち去る。

コンビニでは、5、6人の集団でやってきて、一人が支払いをしている間に他の者が万引きする。
若い女性客は陳列棚の口紅をその場で使って元の棚に戻すので、売り物にならなくなる。
料理屋には、食べ物を持ち込み、注文しない。

旅館では、シャンプー、リンス、タオルから、トイレットペーパー、果は部屋に据え置きのテレビまで、残らず持ち去ってしまう。
部屋や建物を汚し、フロントやエレベーターなどの公共スペースで、平気で大小の用をたす。
部屋の中で何をするのか、便臭が激しく(日本人女性を騙して部屋に連れ込み、スカトロ行為をしているというウワサあり)、部屋に臭いが付く。
支払いの段階になってクレームをつけて値切る。

浴場施設では、湯船の中で平気で石鹸を使い、体を洗う。
日本人客が嫌がって来なくなり、廃業した温泉もある、等々。
これが西暦2012年の対馬で、実際に起こっていることです。

山本博文さんが書いた「江戸時代を探検する」 (新潮文庫)には、次の記載があります。
〜〜〜〜〜〜
通信使の随員の中には、段々と尊大な行動をする者も現れた。
出船の時に、前夜 出された夜具を盗んで船に積み込んだり、
食事に難癖をつけて、
魚なら大きいものを、野菜ならば季節外れのものを要求したりというような些細なことから、
予定外の行動を希望し、
拒絶した随行の対馬藩の者に唾を吐きかけたりするようなこともあった。
〜〜〜〜〜〜



実は、上に紹介した金仁謙が来日したときの第11回朝鮮通信使の帰り際、ひとつの事件が起こっています。
明和元(1764)年4月6日のできごとです。

この日の昼、大阪の長浜の荷揚げ場で、朝鮮通信使の中の下級役人のひとりが、鏡を失くしたと突然騒ぎ出したのです。
通信使の都訓導(中級官人)の崔天宗という者が、これを咎め、
「日本人は、盗みの仕方が上手だ」と、悪口を言いました。

このとき、朝鮮通信使たちの通訳をしていた対馬藩士の鈴木伝蔵は、自分で落して失くしたのか、盗られたのかもまだわからないうちに、日本人を泥棒呼ばわりするのはけしからんと、崔天宗にこのときとばかり、
「あなたは日本人のことをそのように言うが、あなた方は食事の際に出た食器や飾りの品々を、勝手に持ち帰っているではないか。これをどう思うのか」と言い返したのです。

すると鈴木伝蔵に痛いところを突かれた崔天宗は、突然火病を起こして怒り出し、人々が見ている前で、鈴木伝蔵を杖で何度も打ち据えました。

鈴木伝蔵は、自分はあくまで通詞(通訳)であり、朝鮮通信使たちをもてなす立場です。
だからその場では、我慢しました。
けれど、下級武士とはいえ、武士は武士です。

杖で打ち据えられて、ただ黙っていたのでは、武士の一分が立ちません。
思いつめた鈴木伝蔵は、その夜、崔天宗の喉を槍で突き刺して殺害し、奉行所に自首し、切腹しました。

よく、朝鮮使節をさして、「日本に儒教をはじめ、さまざまな文化や技術を伝承した」と書いている教科書などがありますが、残念ながら鶏泥棒の文化や技術が、日本に伝承されたという記録はありません。
つまり、朝鮮使節が日本に文化を伝えたなどという事実は、まったくないです。

当時の朝鮮からの日本の輸入物は、朝鮮人参と、支那産の生糸と絹織物です。
他方、朝鮮通信使たちが喜んで持ち帰ったのが、サツマイモでした。
当時の朝鮮は、毎年のように飢饉が発生していたのです。
ところが日本では、飢饉のとき、サツマイモを栽培(芋は収穫が早い)して、多くの人が助かったという話から、通信士使たちは、種イモだけでなく、植え方、貯蔵法、料理法まで学んで持ち帰り、自分たちのためにこれを栽培したといいます。

ちなみに、この朝鮮通信使によって朝鮮半島に日本から持ち込まれたものに、タバコと唐辛子があります。
いま、朝鮮料理といえば、唐辛子を使ったキムチが定番ですが、キムチに使われる唐辛子は、日本から朝鮮半島に伝わったものです。

鎖国をしていても、海外の動勢は、国家として常に監視しておかなければならないのは当然のことです。
ですから、ほんのわずかな窓口での交流は続けましたが、ものめずらしい外国人が来日するとなれば、中央から歌舞伎一座や、相撲興行がやってくるというのと同じで、大歓迎するのが、日本の庶民の常です。
ですから朝鮮使節を迎えるための踊り、なんていうのも、今に伝えられています。

ところが、肝心のこの朝鮮使節、実にとんでもない連中で、自称朝鮮国王の使いでありながら、道中で、まるで不良中学生ばりに、道中で悪さばかりする。
一回の通信使でやってくるのは、だいたい450人くらいの団体です。
そのうちの100人の水夫が大阪に留まり、350人が、徒歩で江戸向かっています。
釜山を出発してから、半年くらいの滞在です。
さらに、朝鮮通信使には、対馬藩から800人の護衛の武士が同行しています。

800人の警護がいてさえ、朝鮮通信使は、あちこちで問題を起こしたのです。
幕府は、この朝鮮通信使のために、毎度100万両の予算を計上しています。
それだけの接待をしたのです。

けれど、彼ら朝鮮通信使たちは、風呂にはいる習慣がないから臭い。
日本の旅籠や、街道のあちこちにある茶店には、いまで言ったらコンビニみたいなもので、ちゃんとトイレがあるのに、路上で大小の用をたす。
朝になると、350人が一斉に、往来の路上で大用をたすことを考えてみてください。
どれだけ迷惑なことか。

けれど、街道の村々では、30年に一度のこの朝鮮通信使たちの歓迎のために、歓迎のための踊りや祭りなども企画し、実行しています。
負の面もたくさんあったけれど、それでも歓迎をする。
楽しかった思い出を、たいせつにする。
それが日本人です。

朝鮮通信使の経路


そうそう、最後にひとつ。
朝鮮通信使は、壱岐対馬を通って来日したのですが、壱岐を治める平戸藩では、使節の無事な航海を祈って藩主自らが、邇自神社(にじじんじゃ)に参拝し、順風祈願をしています。
表向きは、あくまで、無事な航海を願ってのことです。

けれど、本音は、
「一日も早く壱岐から出て行ってもらいたい」
というものでした。

隣人と仲良くする、常に仲良くしたい、というのは、日本人の変わらぬ習性です。
けれど、まともな人たちなら、そうやって仲良く暮らすことはとても大切なことだけれど、まともでない人たちまでごっちゃにするのは、国民の生活そのものを破壊する原因となります。

冒頭に掲げた朝鮮通信使一行の図は、まことに豪勢な行列です。
幕府は、30年に一度の朝鮮通信使の行列のために、莫大な予算を計上して、通信使たちの行列を荘厳しました。
けれどそれは、あくまで30年に一度のイベント毎だったからです。
逆にいえば、それだけのおもてなしはするけれど、それ以外には「朝鮮人は来るな!」ということなのです。

私は、支那、朝鮮(韓国、北朝鮮)について、限定的な鎖国を実施せよ、国内にいる在日外国人の通名を廃止せよ、という立場をとり、国政にそのはたらきかけをしていますが、これは民の生活の安全と安穏を保つための、最低限の国の使命であると思っています。

さて、明日は沖縄の記事を書きます^^
お楽しみに♪

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朝鮮通信使 【韓国の嘘を許さない】

動画をごらんいただくと、いま、韓国がこの朝鮮通信使について、学校の教科書でいかなるデタラメを教えているかがわかります。日本人も、ちゃんと勉強しておかないと、やばいかもです。


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関連記事

コメント
No title
日本人の勉強不足、戦後教育の駄目っぷりを感じます。
韓流、K-ポップごり押し、未だにやってる馬鹿みたいなTV・・・
正しい歴史、隣国の歴史、日本の歴史を復活させれば日はまた昇りますね

そうなると困る国が敵国です。
2012/10/24(水) 06:25 | URL | イシコウ #-[ 編集]
No title
「人に迷惑をかけてはいけない」と「人は信用するな」という、親の子に対する教育の違いだね。

2012/10/24(水) 07:53 | URL | あ太郎 #eSGkAR1I[ 編集]
No title
柳川一件、なかなか深いものがありますね。
しかし、どこまで相手の横暴を我慢するか、線引きが難しいような。
結局、民が我慢できなくなるまでなのでしょうか。

現在も国民が我慢できなくなるまで、安寧を優先し、
国民が切れて(安寧より変化を望んで)初めて、動くのかな。
2012/10/24(水) 07:57 | URL | #-[ 編集]
No title
<かけだし鬼女様ブログのコメント>

「人権委員会設置法案」反対!!

Unknown (sakuranran)

「口だけ保守」森本防衛相の個人事務所です。
以前はバイト募集などで公開していたようですが、国民の声を恐れてか、現在はほとんど一般には知られていません

●森本敏(防衛大臣)個人事務所:
TEL03-3500-3258、
FAX03-3504-8258、
〒105-0001 東京都港区虎ノ門1-11-11七久保ビル5F

ひとつ積極的に掲載、拡散していただければと思います。
2012/10/24(水) 08:11 | URL | 大拡散希望 #-[ 編集]
皇室を世界文化遺産に!
日本はハードパワーだけでは無くソフトパワーでも世界から尊敬される国を目指したら良いと思います。

日本の皇室は、世界に比類無き万世一系の文化と伝統を誇れると思いますが、存続の危機を感じています。

世界文化遺産として世界から認められた形で守り続けていくのが良いと私は思います。
2012/10/24(水) 09:05 | URL | 勉強になります #3UG7ZRW.[ 編集]
裏目にでたのが朝鮮合邦かも
>それらを自然な形になんとかして
>日本の文化の中に取り込もうと
>努力を重ねる・・・
考えてみると併合(合邦)したときに
こういう政策をしてきたこと
これが半島の人たちには我慢ならなかったのかも
しれませんね。
もっとも、彼等には通過点でしか無い国柄ですから
なにも誇れる物が無いわけですけど。
2012/10/24(水) 10:14 | URL | 河童工房('◇') #-[ 編集]
No title
おはようございます。
本日もねずさんのブログをじっくり読ませて頂きました。

この中で気になる記載が1つ。
日本では「官は民の為」
朝鮮では「民は官の為」
とありますが、この「民は官の為」と言うのが、現在の日本の状況にそっくりのような気がします。
官僚、政治家が私腹を肥やす為に民がある。
という風に見えてなりません。
特に官僚、もしかして日本の官僚は儒教文化に犯されたのではないでしょうかw
2012/10/24(水) 10:48 | URL | ななし #xyxty9n6[ 編集]
歴史
こんにちは 初めまして。私も戦後教育を受けた者ですが こんなインチキ歴史は
始めてみました(TV見ないので)子供たちも20代前半と後半ですが こんな歴史は
習っておりません。ゆとり教育のはじまりになった頃でしたけど。

なんかここまでインチキも度を超すと笑ってはいけないのでしょうが、笑ってしまいました。作り物は所詮作り物でしかありません。もし数千年の後に地球があって人類があるなら インチキ歴史はバレバレになり 韓国は黒歴史の国になって教科書に出て 延々と語り継がれるのでしょう。長い年月を見ても 人は真実を探し求めますからね。

知人の話しですが 登別の某温泉で 湯船に浮いてたみかんだったか 夏みかんだったかを支那人が食べて 皮を湯船の中に捨てる 洗い場で食べてそのまま捨てるで大迷惑だったそうです(本当の話しです)きちんと旅行会社から説明は受けてたそうですが あんな物食って上手いのか 食べられればいいのか理解不能。で知人たちは社員旅行だったのですが もう二度とあそこは使わないと決めたそうです。支那と韓国は道内でも迷惑戦犯ですわ。公衆トイレのトイレットペーパーを持ち帰らないでくださいと ハングルと中国語(2種類くらいある)で書いてある所が増えてきました、そんな物旅行の途中でどうするんでしょうか?布団さえもっていくから・・このまま来ないでほしいです。
2012/10/24(水) 10:50 | URL | dark-moon #JnoDGgPo[ 編集]
No title
朝鮮通信使のルートを世界遺産に(怒)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201210190019.html
(中国新聞ソース)
【釜山(韓国)久保友美恵】朝鮮通信使を顕彰する活動などを日韓両国の団体が報告するフォーラムが18日、韓国・釜山市役所であった。渡航ルートや寄港地の世界文化遺産登録を目指す機運を高めようと、同市と釜山文化財団が企画した。

日本側は江戸時代に通信使の寄港地だった福山市と呉市、日韓交流に取り組む尾道市、埼玉県川越市、横浜市の計5人が報告した。

呉市下蒲刈町で通信使行列の再現を主催している蘭島文化振興財団の渡辺理一郎理事長(65)は「今年で10回目。地域活性化へ続けたい」。福山市鞆町の日韓トップ囲碁対局の木谷正道・実行委員会副委員長(64)は「若い世代の参画が継続の鍵を握る」と強調した。尾道市の新里カオリさん(37)は、江戸時代から伝わる帆布を使ったまちおこしを紹介した。

韓国側は朝鮮通信使学会の朴花珍(パクハジン)理事(55)が、文学や音楽の研究を通じた日韓交流の実践を発表。「領土問題で揺れる今こそ、通信使の誠信交隣(信頼して誠実に交流する意味)の精神に光を当てる意義は大きい」と話した。
19日も、釜山市役所でシンポジウムがある。------------------

広島県はすでに韓国・朝鮮人に汚染されていますので
こんなおかしなことが行われようとしています(悲)
特亜との鎖国を本当に再開してほしいです!!!


2012/10/24(水) 10:56 | URL | #hy9433ho[ 編集]
久々にコメントします
私自身が常日頃から疑問に思ってた事柄があったのですが、鎖国と開国(落人の解釈など)、一連の記事を読んで、疑問に思ってた事柄も解決してしまいました。

毎日の更新、ありがとうございます。

明日の沖縄のお話も楽しみにしています。
(⌒▽⌒)
2012/10/24(水) 10:56 | URL | 馬い御飯 #JR1761.w[ 編集]
実に良いお話でした
このたびの「朝鮮通信使」のお話、今から60数年前の中学生の
時に学校で学びましたが、これほど詳細な内容ではありません。

また対馬藩の藩主と家老の内部告発事件では、藩主が国書の偽造を
したことを「嘘はいけないこと」として訴え出た家老に対しての
幕府、将軍家光および江戸城に集められた全国の大名たちの判断は
同じで、藩主にはお咎めなし、逆に嘘はいけないとして告訴した
家老が津軽へ流罪となった「柳川一件」など、学問が空理空論に
走ることを戒めた事件として、現代の社会と比べると本当に考え
させられるお話でした。

そしてまた、248年前の「朝鮮通信使」の感想を読んで最後の
動画、朝鮮通信使「韓国の嘘を許さない」を視聴して遠い過去の
出来事であった日本の国史が本当に良く分かるお話でした。

このお話を拡散させて頂きます。どうも有難うございました。
2012/10/24(水) 11:01 | URL | terag3 #KVPRtAI6[ 編集]
No title
248年たった未来より、鈴木伝蔵さんのご冥福を心よりお祈りいたします。あなたは悪くない。あなたの名誉は守られてる。
2012/10/24(水) 11:46 | URL | #-[ 編集]
漢陽から江戸まで続いた「朝鮮通信使」…ユネスコ世界遺産への登録推進
これは迷惑です、やめて欲しい。

http://japanese.joins.com/article/589/161589.html?servcode=A00§code=A10
2012/10/24(水) 12:45 | URL | とんがり #SqysiCUU[ 編集]
No title
「朝鮮通信使のことは中学生の歴史教科書に二、三、行くらい載ってたな」その程度の記憶しかありませんでした。今回も大変勉強になりました、有り難うございます。

それにしても何時の時代でも問題を起こしてくれる民族ですね。
益々進化してるような気がします。

「朝鮮使節の記録」の中に日本の繁栄ぶりというか民度の高さについて書いています、書いてるまではよかったのですが、最後に「嘆かわしい、恨めしい、悔しい、この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい」などと文章に残しています。

「朝鮮王の徳で礼節の国にしたい」思わず笑ってしまいました。
こんなことが書ける事態、どこをどう考えればそういう発想になるのか、摩訶不思議、理解不能。
「普通は 「この様な国に自国も努力してなりたい」そう書きます。
ましてや使節団に選ばれるような人達ですからこちらの感覚としてはそれなりの人と普通に思います。
しかし彼の国の普通は普通であって普通では無いのです。

で、「恨めしい、悔しい から何がなんでも取っちゃえ!」ですか、お話しにもなりません。

使節団が日本に来て、1910年日本が韓国併合するまで何百年という長き時代が過ぎたにもかかわらず、日韓併合以前の韓国の写真を見る限りでは何も変って無いようですね。
使節団が来る度日本はお金、人材を使い「おもてなし」、しかし見る限りでは「百害あって一利無し」、日韓併合しかりです。

国を自分達の手で何とかし、つまり「努力」するという文化は進化せず、「横取り」の文化は進化し続けてるのでしょうね。
もともと人間として持っている物が違いすぎます。
お付き合い御免被ります。

余談ですが、今日は戦艦「武蔵」がレイテ沖海戦、シブヤン海に沈んだ日です。
そして明日は、同じレイテ沖海戦で関行男大尉、敷島隊の隊長として神風特別攻撃隊の先駆けとなり散華された日です。
全ての英霊の皆さんに感謝します。
2012/10/24(水) 13:09 | URL | 桜子 #PyZMa2bE[ 編集]
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
2012/10/24(水) 13:38 | | #[ 編集]
韓国の歴史書
韓国の歴史教科書は捏造歴史を教えています。教科書だけではありません。歴史書は全て「ファンタジーフィクション物語」です。

昨日、2010年出版の東アジア近現代史(日露戦争と韓国併合)(岩波講座)を読みました。日本と韓国の歴史学者の共著でした。歴史認識はその人の立ち位置でそれぞれ異なります。しかし、歴史の事実は共通のハズです。

日本人の書いたものは「いつ」「誰が」「どこで」「何をした」かという事実をもとに自分なりの解釈で書いていました。が、韓国人の書いたものはその事実が良く分かりません。

日本を加害者にするためか事実を曲げているものもあります。日本の朝鮮総督府が行った土地の調査に関しても、朝鮮がやっていたものを日本が継承したかのような表現で書いています。

文章は抒情的で私から言わせれば、歴史書としては「落第」です。このような近現代史が平然と日本で発行されていることに怖さを感じました。日本は歴史の事実を正しく世界に発信していく必要があります。

そうすれば多くの韓国の慰安婦(売春婦)を逮捕しているニューヨーク市は恥ずかしくて「慰安婦通り」などという下品な名称の通りは作れないでしょう。
2012/10/24(水) 14:02 | URL | にっぽんじん #-[ 編集]
TBS会長「社会を支配しているのはテレビ」
TBS会長「社会を支配しているのはテレビ」

~支配の快感に酔いしれる自家中毒患者=マスコミ

TBS代表取締役会長・日本民間放送連盟会長:井上弘
ウィキペディア「井上弘」 
「日本の頭脳 世界も驚く名言集」

◆(1998年 TBS副社長時代 入社式にて)
 「テレビは洗脳装置。嘘でも放送しちゃえばそれが真実。」

◆(2002年 社長就任時 入社式にて)
 「社会を支配しているのはテレビ。これからは私が日本を支配するわけです。」

◆(2003年 入社式にて)
 「日本人はバカばかりだから、我々テレビ人が指導監督してやっとわかるんです。」

◆(2005年)
 「NHK受信料を値上げして、その一部を民放にも分配するべき。」

◆(2012年 民間放送連盟会長就任 入社式にて)
 「君たちは選ばれた人間だ。 君たちは報道によって世の中を動かす側の人間。対して一般国民は我々の情報によって動かされる人間だ。
  日本は選ばれた人間である我々によって白にも黒にもなる。」

TBSだけではない。

http://web.trend-review.net/blog/2012/10/002400.html#more
2012/10/24(水) 15:06 | URL | 貼り付け #C/TS6In.[ 編集]
●ゆすりたかりは朝鮮人の伝統芸●
角田被告をよく知る人物は
「(角田被告は)めちゃめちゃ派手。

どこぞの国の女の人? という感じ。
━━━━━━━━━━━━━━━━
体格はすごくいい。がたいもある。
━━━━━━━━━━━━━━━━

 高齢者のおばあちゃんという感じではなく、
 圧倒的に威圧感がある。
 (弱みにつけ込む?)そうですね。
 (周囲は角田被告の)言いなりに
 ならざるを得なかった」と語った。

★兵庫・尼崎市3遺体事件 
 関係者などが角田被告について証言
 FNNニュース(10/17 17:27)
 http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00233646.html


朝鮮人の身体的特徴はガタイのデカさ
韓国人のガタイは日本人よりデカイ。
基本的に朝鮮人は骨太で巨漢が多い。
2012/10/24(水) 16:11 | URL | 在日特権の闇 #amXlFcx2[ 編集]
No title
いつもありがとうございます。それにしても、政治ブログランキング上位は嫌韓、反中がしめていることがすべての答えであると思います。通常の日本人は韓国や中国が大嫌いなのです。日本人の幸せのためには中韓と国交断絶が望ましいです。
2012/10/24(水) 16:24 | URL | 日和 #-[ 編集]
キーセン
いつも豊かな情報をありがとうございます。
従軍慰安婦で思われるのはキーセンで、
まだ低年齢の少女の売り買いを
禁止したのは、併合時代の日本ですね。
それをいたいけな少女を性奴隷のなんのって、自らを棚に上げ。
第一、キーセンという国家売春に
終止符が打たれたのはついこの間、
確か2004年のことですよ。
2012/10/24(水) 16:42 | URL | 彩 #-[ 編集]
No title
朝鮮通信使は、日本に様々なことを教えるために来訪していたことを、中学の頃に授業で習ったような記憶がありました。

先日の、江戸城では裏口から入った図を見て、自分の知識が誤りであったことを知ったわけですが、裏口から入った図も、鶏を盗んで町人と喧嘩朝鮮使節の絵も、秘密にされていたものとは考えられません。何故、明白な間違いを教科書に掲載するのか? 日本の教科書は国の検定を受けなければならないのですから、国の検定がおかしいとしかったとしか思えません。・・・・・せっかく先人が、正確な資料を残してくれたのですから、子孫がそれを忘れてはいけないのです。
現在使用されている教科書の内容は、どうなのかが気になります。

ところで、中国が尖閣諸島にやたらと監視船を派遣しています。
また、極秘の次官会議をしたとのことですが、中国は民主党の政権の間に、尖閣諸島で何らかの権利を確保しようと画策しているのでしょう。
総選挙になって民主党が政権の座を失えば、中国のもくろみは失敗すると中国も分かっているのです。

10月20日に火災を起こした中国の大型貨物船の乗組員を、海上保安庁が救助しましたが、中国は駐福岡総領事館が直ちに体制を取ったと自画自賛し、日本側への謝意はなかったとのことです。
1920年に尖閣諸島で中国人を救助したときには、中国の長崎総領事が日本側にお礼状を書いているのが、現在の中国の尖閣諸島侵略の邪魔になってるからでしょう。
他国に助けられても礼も言わない。中国の民度は、明治時代よりも下がっています。
2012/10/24(水) 19:33 | URL | ポッポ #-[ 編集]
思いだしたことを 
こちらを読んでいて ふと思いだしたので。
長男が高校に通っていた時(工業高校でほぼ男子オンリー)に入学式、卒業式と他に
数回学校に行きました。

行事の時は君が代を歌ったのですが その時「国歌斉唱!みなさまご起立願います」
とすばらしい一声とともに 先生たちが一斉に バッと立ち上がったのです。旦那と「まるで昔の軍隊みたいだね」と
言うくらいビシバシとしていましたが、校長先生はじめ、先生方は胸をはって、君が代を歌っていたのを思いだしました。卒業式は生徒の壇上でパフォーマンスもありましたが
きちんとする所はビシッとしていて、すごいなと思ったものです。

まだ作られたヨン様ブームのちょっと前ですが 韓国マンセーの気配が近づいて
いただろう時期で、この学校の先生たちはみな危機感を持って 色々やっていたのかなと
今になって思います。先生たちは、みな立ち上がって君が代を歌っていました。

中学校の時は座ったままの先生が居た記憶があります。今思うと・・・日教組だったんだなと思いました。2−3人程度だったですけど。

話しは前後しますが やはり長男が高校の修学旅行の時に 市内の私立高校は
その当時(11年ほどまえ)で韓国に行く学校が数校ありました。海外だぞーとか
威張っていましたが アメリカだったな?小規模でしたがテロがあり
国内で京都、奈良に変わりました。長男の学校ははじめから 大阪ーユニバーサルー東京でしたので変更はありませんでした。旅行に行く場所ではなくても テロがあれば
行く先を変更していたのに、今の日本はいったいなんだ・・政府が乗っ取られると
こんなにも変わるのだとしみじみ思いました。

今思うと 色々つながってくることがわかって ああアレもかと思うことがたびたびです。早く解散させたい、安心して暮らせる日が早く来ることを。
2012/10/24(水) 22:48 | URL | dark-moon #-[ 編集]
朝鮮はシナの万年属国でしたから、皆シナに奪われるので、いいものを作りだす気概が奪われた。でもいいものは欲しい。日本にいいものがある→盗もう!と言う精神が遺伝子に組みこまれているのでしょうね。もう朝鮮人をどうにか出来るとは思いません。朝鮮とは国交断絶し関わりをなくすべきですね。
2012/10/24(水) 23:00 | URL | #-[ 編集]
高村副総裁が否定した従軍慰安婦
いつも有益な記事をありがとうございます。

従軍慰安婦の欺瞞について下田市議の田坂富代さんが
非常にユニークな観点から綴っていらっしゃるので
ご紹介させてくださいませ。

http://tomiyo.cocolog-nifty.com/blog/
自民党高村副総裁~従軍慰安婦はいなかった~
2012/10/25(木) 01:43 | URL | 彩 #GCA3nAmE[ 編集]
ソフトバンクによる米・スプリント社買収の実態
ソフトバンクによる米・スプリント社買収の実態
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-930.html

最近米国議会で問題となった中国の通信器機製造メーカー華為技術(HUAWEI)の安全保障リスク問題も
含まれます。 こんな機器を使っているソフトバンクは支那へすべてのデーターを提供していることを意味す
るので、愛国系日本人はソフト・バンクのサービスを使用しない運動を始めよう。

【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。
2012/10/25(木) 01:49 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]
いつも楽しみに読ませて頂いてます。朝鮮人の性根は1000年変わってません。嘘、捏造、歪曲。泥棒、放火、強姦が朝鮮人の本性です。常に他人や他国に責任を押し付け、自らは何もしない。そんな民族が国連や世界銀行等で要職が勤まる筈が有りません。世界は朝鮮民族の嘘に騙されています。
2012/10/25(木) 07:45 | URL | 小倉っ子 #rv8W5JGg[ 編集]
No title
【秀吉と文録の役 フロイス「日本史」より 中公新書】 
を中心に文録の役を見てみたいと思います。

文録の役の前の天正18年(1590)に、
李氏朝鮮の使節が日本にきていますが、
フロイスはこう描写しています。
「朝鮮国王の使節も多数の随行者を伴って、その地に(京都)に赴いたが、
支那人や朝鮮人が平素出歩く通りに、(その)全員が
下品で脛も露に道を歩き、街路で立食いするほど下品な者どもで
あったから、日本人は彼らをひどく軽蔑し…」

またフロイスは文録の役で従軍した多くのキリシタン将兵から、
この戦役について聞き取りをしていたらしく、貴重な証言を
数多く得ています。
一番隊の小西行長軍が漢城(ソウル)に入城したところ、
「これら多くの兵士たち、しかも武装した異様な集団の中にありながら、
(高麗の)老若婦女子たちに対する、安全保障(態勢)には
見るべきものがあったと言われる。
彼ら(高麗人)は何の恐怖も不安も感じずに、自ら進んで親切に誠意を
もって兵士らに食物を配布し、手真似で必要なものはないかと
訊ねる有様で、日本人の方が面喰らっていた」

2番隊の加藤清正軍の記録にも、同様に朝鮮民衆から
解放軍として迎えられたと記されています。
李氏朝鮮側の記録にも、いくつか記録が残っています。
(宣祖実録や再造藩邦志)
(後半の慶長の役でも、秀吉軍に味方する朝鮮の役人、町、
民衆が数多くいました、宣祖実録30年11月12日 乱中日記(1597) )

これもフロイスの書簡からですが、
「一部の高麗人は、生計に窮して、日本人のように月代を剃り、
頭髪を結んで日本人を装い、略奪を目的として手真似や恐喝で
もって同胞を襲った」

文録の役の日本軍の戦没者は5万人とフロイスは同書簡に書いていますが、
討ち死には僅かで、殆どが病死と記しています。
同じ半島が主戦場になった日清戦争でも、約16000人の英霊が
おられますが、戦死された方は1500人くらいで、あとは病死です。

また日本と交渉期間・停戦期間中に、李朝は風紀粛清のために、
脱走者、戦乱に乗じての乱暴狼藉者を多数処罰していますが、
その中で豊臣軍の将兵と恋仲だった朝鮮人の女性を
数名処罰したとも記録にありますね。
処罰されるくらいですから、強制ではなかったでしょう。(ちなみに地方の一部の話です)
(参考 壬辰戦乱史・東洋図書出版から)

これだけでも、この戦役のイメージはだいぶ変わるでしょう。
文禄・慶長の役の専門家と言われている某研究家も
左翼史観・半島のバイアスが掛かっているので要注意です。

例えば第一次蔚山戦では、「ギリギリの勝利だった、
退いた明軍、朝鮮軍を追撃する余力はなかった」と結論していますが、
とんでもない、援軍にきた秀吉軍に散々に追撃されて
明・朝鮮軍は壊滅状態になっています。

鳴梁海戦の朝鮮水軍の小規模の一時的勝利でも、
「日本軍の海上からの全羅道攻略・輸送作戦を
全面的に挫折させた」と締めくくっています。
これも、その後の展開を一切書いていないのはどういうつもりかは、
知りませんが、海戦後、海峡は日本水軍に制圧され、
水軍と陸軍は全羅道も制圧して、朝鮮水軍の基地も占領・破壊しています。
朝鮮水軍は局地戦で勝利後、北へ撤退しています。

また慶長の役での半島南部の制圧戦でも
「一旦占領した地域を慌てて放棄して撤退した、朝鮮水軍の復活、
明・朝鮮軍の反撃、冬の接近、兵糧不足が原因と考えられる」
と書いてますが、そもそも半島南部の明・朝鮮軍を
掃討し尽くしたあとは、半島最南端に後退して冬明けを待つのは、
あらかじめ決められていたことですが某研究家は、
その資料を知らないのでしょうか?(慶長2年2月21日書状 立花文書)

そもそも、両戦役を通じて朝鮮水軍のせいで、
補給が途絶えたとの記録は一切ないのですが。

フロイスの書簡からだけでも読み取れる日本軍の食糧不足の理由は、
急な戦線拡大による突出、険阻な道による輸送の困難さ、人手不足、
朝鮮に至るまでの海峡の荒波による渡航の困難さ・さらに船の沈没、
冬到来による渡航の激減、陸地でも冬季到来のせいで
部隊は身動きがとれなくなった。

半島南部に在陣していた毛利軍は「あらゆる種類の武器、弾薬、
食料、更に薪、石炭、野菜の種子まで具備していた」とあります。
食糧不足の痛手を受けたのは半島北部にいた部隊ですね。

「冬は航海不能なので、夏まで援助は期待できない。」と
書簡にあるように、冬季が終えると早々に補給が
再開されて食糧不足は解決しています。
「関白から任命された三人の武将によって食料と弾薬、
それらはじつに豊富で、1594年の9月まで十分持ち堪えられる
ことができるほどの量があり…」
残念なのは、この研究家の方は大手の文禄・慶長役関係の
いくつかの書籍で、よく文を投稿していたので、
与えた影響力は大きいと思うので
やっかいなことです。

この戦役に関しては自身で調べて結論を出すのが一番安全です。
2012/10/25(木) 15:56 | URL | アロン #-[ 編集]
No title
早く日本から在日朝鮮人(帰化したなりすまし日本人含む)がいなくなり、平和で豊かな誇りある美しい国になりますように。。。
2012/10/25(木) 19:31 | URL | #-[ 編集]
No title
おはようございます。真実をできる限り多くの方々に知ってもらいたいので、コメントしようかどうか迷ったのですが、コメントさせていただきます。朝鮮人はなんらかの特殊能力を持った人間がいると、その人間を「潰し」にかかります。その「潰し」は一種の呪い・金縛りのような感じで精神に甚大なダメージが残ります。小生の父の父は帝國海軍准士官(おそらく今で言う特殊部隊レベル)、母方の親戚にはプロ野球選手やプロ野球選手になりかけた親族がいます(母の父は神主の資格を持っていました)。小生は朝鮮部落近くと思われる中学校に入学し野球部に入部しましたが、この野球部には「おかしな輩」がウヨウヨしていまして、とても耐えられなくなりすぐに退部してしまいました。雰囲気が尋常ではなかった。無論自分自身にも反省すべき点はあろうかと思われますが、あの「おかしな輩」は尋常ではないくらいの異常なこだわりを見せて小生を憎み恨んでいました。今冷静に振り返れば、あの「おかしな輩」たちとの関わりが一切なかったなら、あの「おかしな輩」が存在しなかったなら、小生は野球を続けることができ甲子園に出場し別の人生を歩んでいたと思われます(小生の母校は甲子園にそこそこ出場しています)。
2012/10/26(金) 03:04 | URL | 楠公忠烈 #-[ 編集]
元自称戦場ジャーナリストの通信社あがりのおっさんが
朝鮮通信史は寒流スターなみの人気だって大嘘つぶやてますね^^;

なんつーか朝鮮になびくと嘘をかさねないと生きていけない惨めな人生になるのかな
2013/07/31(水) 19:02 | URL | UM #-[ 編集]
源氏の家紋を朝鮮通信使に渡した徳川を隠す気?
掲載されている江戸の絵は、実際は右側に太鼓が写っています。
「源氏の巴紋(三巴)の入った太鼓」を朝鮮通信使が持ち歩いていますが、
何処から手に入れたのでしょう?
江戸城までの道中でしたら、鎌倉から?
江戸城で会談した際の手みやげ?
江戸城は、徳川が天皇家を襲撃して強奪した皇居です。
東ノ宮なんて名は、天皇家にはありません。資料にありません。
天皇家の名字は「中渡」と記載されており、
高貴な身分は、部下がその名を記す際、名の間に空白を置く風習があり、
部下すら空白の一文字を知りませんでした。
お察しがつくかと存じますが、神の様に「ノ」を入れます。
天皇家に存在しない偽者達が皆「ノ」を入れた様に、
「野バラの咲く故郷が恋しい。」と記し、馬車に乗り、膝上ブーツを着用し、
黒髪が産まれると鬼とされた天皇家は、
徳川の親戚の東ノ宮達など1滴も血を交いしません。
2013/10/13(日) 16:36 | URL | 102代目天皇:秘密の花園 #-[ 編集]
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私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

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